はるさめ流『六韜』を読む:一篇 文韜 – 明傳第五

コラム

文王寢疾,召太公望,太子發在側。曰:「嗚呼!天將棄予。周之社稷,將以屬汝。今予欲師至道之言,以明傳之子孫。」太公曰:「王何所問?」文王曰:「先聖之道,其所止,其所起,可得聞乎?」太公曰:「見善而怠,時至而疑,知非而處,此三者,道之所止也。柔而靜,恭而敬,強而弱,忍而剛,此四者,道之所起也。故義勝欲則昌,欲勝義則亡;敬勝怠則吉,怠勝敬則滅。」

中国版ウィキソース「六韜」より

文王(ぶんおう)疾(しつ)に寝(ふ)し、太公望(たいこうぼう)を召(め)す。太子発(たいしはつ)、側に在(あ)り。

曰(いわ)く、「嗚呼(ああ)、天(てん)将(まさ)に予(よ)を棄(す)てんとす。周(しゅう)の社稷(しゃしょく)、将(まさ)に以(もっ)て汝(なんじ)に属(ぞく)せんとす。今(いま)、予(よ)至道(しどう)の言(げん)を師(し)とし、以(もっ)て明(あき)らかに之(これ)を子孫(しそん)に伝えんと欲(ほっ)す」と。

太公曰く、「王(おう)、何(なに)をか問(と)う所(ところ)ぞ」と。

文王曰く、「先聖(せんせい)の道(みち)、其(そ)の止(とど)まる所(ところ)、其(そ)の起(お)こる所(ところ)、聞(き)くことを得(う)べきか」と。

太公曰く、「善(ぜん)を見(み)て怠(おこた)り、時(とき)至(いた)りて疑(うたが)い、非(ひ)を知(し)りて処(お)る。此(こ)の三(みっ)つの者は、道(みち)の止(とど)まる所(ところ)なり。

柔(じゅう)にして静(せい)、恭(きょう)にして敬(けい)、強(きょう)にして弱(じゃく)、忍(にん)にして剛(ごう)。此(こ)の四(よっ)つの者は、道(みち)の起(お)こる所(ところ)なり。

故(ゆえ)に、義(ぎ)欲(よく)に勝(か)てば則(すなわ)ち昌(さか)え、欲(よく)義(ぎ)に勝(か)てば則(すなわ)ち亡(ほろ)ぶ。敬(けい)怠(たい)に勝(か)てば則(すなわ)ち吉(きつ)にして、怠(たい)敬(けい)に勝(か)てば則(すなわ)ち滅(めつ)ぶ」と。


文王は病に伏し、太公望を呼び寄せました。そばには世継ぎの太子、発(はつ)が控えていました。

文王は言いました。「ああ、天はついに私を見捨てようとしている(寿命が尽きようとしている)。周の国は、今まさに、お前に託されることになる。今、私は最高に正しい道の言葉を師として仰ぎ、それを子孫へとはっきりと伝えておきたいと思うのだ。」

太公望は尋ねました。「王は、どのようなことをお聞きになりたいのでしょうか。」

文王は言いました。「古の聖人たちが守り抜いた道について、それが廃れてしまう原因と、それが興り盛んになる原因を、聞かせてもらいたい。」

太公望は答えました。 「善いことだと分かっていながら実行を怠り、好機が訪れていながら疑って迷い、間違いだと知りながら改めずにその場に留まる。この三つの行いこそが、正しい『道』が途絶えてしまう原因です。

外見はしなやかで心は静かであり、うやうやしく慎み深い態度を持ち、強さを秘めながらも(相手を立てて)弱さを装い、じっと耐えながらも芯は剛直である。この四つのあり方こそが、正しい『道』が興り、盛んになる原因です。

ゆえに、正義の心が私欲に勝てば国は栄え、私欲が正義の心に勝てば国は滅びます。慎み深い心が怠慢に勝てば幸運が訪れ、怠慢が慎み深い心に勝てば国は滅び去るのです。」


死の間際という極限状態で交わされるこの対話は、国家存亡の鍵を「君主の内面的な克己心」に求めている点が最大の特徴です。太公望が説くのは、高度な戦術ではなく、人間としての極めて根本的な姿勢でした。

まず、道が「止まる(廃れる)」原因として挙げられた三要素は、現代の意思決定にも通じる鋭い指摘です。良しと知りつつ動かない「怠慢」、機を目前に足踏みする「不決断」、誤りを認めながら放置する「固執」は、いずれも組織を腐敗させる致命的な弱点です。文王はこれらを反面教師として、次代の武王に伝えようとしました。

対して、道が「起る(盛んになる)」ための四要素は、リーダーとしての「静かなる強さ」を強調しています。単に剛直なだけでなく、しなやかさや慎み深さを併せ持つこと、つまり内面を鍛えつつ外面は和らげるという、バランスの取れた人格形成が国を興す原動力になると説いています。

最後に語られる「義と欲」「敬と怠」の相克は、本書の倫理観の核心です。統治者が自らの欲望や怠惰に打ち勝てるかどうかが、国家の吉凶を分かつ。太公望は、新しい王朝の幕開けを控えた武王に対し、小手先の技術よりも、まず自らの心を律する「克己の学」こそが、周を昌えさせる唯一の道であることを遺言として刻みつけたのです。

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