はるさめ流『六韜』を読む:一篇 文韜 – 大禮第四

コラム

文王問太公曰:「君臣之禮如何?」太公曰:「為上惟臨,為下惟沉。臨而無遠,沉而無隱。為上惟周,為下惟定。周,則天也。定,則地也。或天或地,大禮乃成。」文王曰:「主位如何?」太公曰:「安徐而靜,柔節先定。善與而不爭。虛心平志,待物以正。」文王曰:「主聽如何?」太公曰:「勿妄而許,勿逆而拒。許之則失守,拒之則閉塞。高山仰止,不可極也。深淵度之,不可測也。神明之德,正靜其極。」文王曰:「主明如何?」太公曰:「目貴明,耳貴聰,心貴智。以天下之目視,則無不見也。以天下之耳聽,則無不聞也。以天下之心慮,則無不知也。輻輳並進,則明不蔽矣。」

中国版ウィキソース「六韜」より

文王(ぶんおう)、太公(たいこう)に問(と)いて曰(いわ)く、「君臣(くんしん)の礼(れい)は如何(いかん)」と。

太公曰く、「上(かみ)たる者は惟(た)だ臨(のぞ)み、下(しも)たる者は惟(た)だ沈(しず)む。臨(のぞ)みて遠(とお)きこと無(な)く、沈(しず)みて隠(かく)るること無(な)し。上(かみ)たる者は惟(た)だ周(しゅう)にして、下(しも)たる者は惟(た)だ定(てい)なり。周(しゅう)なれば、則(すなわ)ち天(てん)なり。定(てい)なれば、則(すなわ)ち地(ち)なり。或(あるい)は天(てん)或(あるい)は地(ち)、大礼(たいれい)乃(すなわ)ち成(な)る」と。

文王曰く、「主(しゅ)の位(くらい)は如何(いかん)」と。

太公曰く、「安徐(あんじょ)にして静(せい)に、柔節(じゅうせつ)先(ま)ず定(さだ)まる。善(ぜん)に与(あた)えて争(あらそ)わず。心を虚(むな)しくし志(こころざし)を平(たい)らかにし、物に待(たい)するに正(せい)を以(もっ)てす」と。

文王曰く、「主(しゅ)の聴(ちょう)は如何(いかん)」と。

太公曰く、「妄(みだ)りに許(ゆる)すこと勿(な)かれ、逆(さか)らいて拒(こば)むこと勿(な)かれ。之(これ)を許(ゆる)せば則(すなわ)ち守(まもり)を失(うしな)い、之(これ)を拒(こば)めば則(すなわ)ち閉塞(へいそく)す。高山(こうざん)は之(これ)を仰(あお)ぐも、極(きわ)むべからざるなり。深淵(しんえん)は之(これ)を度(はか)るも、測(はか)るべからざるなり。神明(しんめい)の徳(とく)、正静(せいせい)其(そ)の極(きわ)みなり」と。

文王曰く、「主(しゅ)の明(めい)は如何(いかん)」と。

太公曰く、「目は明(めい)を貴(たっと)び、耳は聡(そう)を貴(たっと)び、心は智(ち)を貴(たっと)ぶ。天下の目を以(もっ)て視(み)れば、則(すなわ)ち見(み)えざること無(な)きなり。天下の耳を以(もっ)て聴(き)けば、則(すなわ)ち聞きかざること無(な)きなり。天下の心を以(もっ)て慮(おもんぱか)れば、則(すなわ)ち知(し)らざること無(な)きなり。輻輳(ふくそう)並(なら)び進(すす)めば、則(すなわ)ち明(めい)蔽(おお)われず」と。


文王が太公望に尋ねました。「君主と臣下の間にあるべき礼(規律と関係性)とは、どのようなものでしょうか。」

太公望は答えました。 「上に立つ者(君主)は民や臣下に広く臨み、下に立つ者(臣下)は自分の職分に深く沈(静まり、専念)するものです。君主は広く見渡して、どんなに遠くの者も見捨てることがないようにし、臣下は深く専念して、私心を隠し立てしないようにします。 上に立つ者はすべてを包み込み(周)、下に立つ者は心を一つに定めます。君主の包容力は『天』のようなものであり、臣下の安定感は『地』のようなものです。天のように覆い、地のように支え合う。この関係が噛み合ってこそ、理想的な秩序(大礼)が完成するのです。」

文王は尋ねました。「君主としての座(立場や態度)は、どうあるべきでしょうか。」

太公望は答えました。 「ゆったりと落ち着いて静かであり、柔和でありながらも自分を律する節度をあらかじめ定めておくことです。むやみに人と争わず、善いことには進んで与します。心を虚(むな)しくして先入観を持たず、志を平らかに保ち、物事に対しては常に公明正大な態度で接することです。」

文王は尋ねました。「君主としての聞き方(臣下の意見への接し方)は、どうあるべきでしょうか。」

太公望は答えました。 「むやみに安請け合いをしてはならず、かといって、自分の意見と違うからと頭ごなしに拒絶してもいけません。安易に許せば(君主としての)主体性を失い、拒絶すれば(有益な情報が入らなくなり)閉塞してしまいます。 君主の存在は、仰ぎ見ても頂上が見えない高山のようであり、測ろうとしても底が知れない深淵のようであるべきです。神明(神々しい知恵)の徳とは、正しさと静けさが極まった状態をいうのです。」

文王は尋ねました。「君主としての明(判断力・洞察力)はどうあるべきでしょうか。」

太公望は答えました。 「目ははっきりと見えること(明)を尊び、耳はよく聞き取れること(聡)を尊び、心は知恵(智)を尊ぶものです。 しかし、自分一人の目ではなく『天下の人々の目』を通して見れば、見えないものはなくなります。自分一人の耳ではなく『天下の人々の耳』を通して聞けば、聞こえないものはなくなります。自分一人の心ではなく『天下の人々の心』を通して考えれば、知らないことはなくなります。 車輪のスポーク(輻)が中心の軸(輳)に集まるように、あらゆる情報が同時に集まってくるようにすれば、君主の判断力が曇らされることはありません。」


本章では、君主が備えるべき「精神的な構え」と「情報の扱い方」について、自然界の比喩を用いて多層的に論じています。

まず君臣の関係を、すべてを包み込む「天」と、どっしりと支える「地」になぞらえ、それぞれの役割を「周(あまねく)」と「定(さだまり)」と定義しています。君主が広い視野を持ち、臣下が職分に徹することで、揺るぎない統治の秩序が完成すると説いています。

次に、リーダー個人の態度としては、静寂と柔軟さを保ちつつ、内面に確固たる節度を持つことの重要性を指摘しています。特に「聞く」技術において、安請け合いによる主体性の喪失と、拒絶による情報の遮断という両極端な失敗を戒めており、臣下から見て「底の知れない深淵」のような計り知れない重みを持つべきだとする記述は、神秘性すら帯びたカリスマ性の維持を求めています。

白眉は、君主の洞察力(明)の定義です。自分一人の感覚器には限界があることを認め、「天下の目・耳・心」を自らのものとして活用する仕組み作りを推奨しています。車輪のスポーク(輻)が中心(輳)に集まるように、外部の情報を効率的に集約・統合することこそが、真の「聡明さ」であるとする組織論的な知恵が示されています。

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